(仮)

好きなことを好きなだけ語るためのブログ

恋とはそんなものですか

※このブログの内容にはDDソロライブ「あづ」のネタバレが一部含まれます。ご了承ください。
※あと、経緯は省略しますがタイトルは身内のツッコミ待ちです。とりあえず気にしないでください。



彼についてのブログを書こうと思って数ヵ月、いくつか下書きをお釈迦にしていて、でもそろそろ流石に逃げられんなぁと思うので書きます。

なんでこんなに書けないのか、と思うけれど、それはつまり、彼の好きなところ、推せるところを語るには、私の知ってる言葉では足りない、ということに尽きる。
ずっとそれがもどかしかったし、今もまだ、書いても書いても「これで言い切った」と思える地点が見つからなくて、探し続けてる。

歌は上手い。というかめちゃくちゃ上手い。今まで、推し贔屓かも、とか、私の個人的な好みで「声が好き」加点してるのかも、とか思ってきたけど、ソロライブ聴いたら全部無駄な逡巡だったので、彼の歌については今後もっとあからさまに推そうと反省した。はっきり言ってとても上手い。
ダンスも上手い。そもそも踊り手出身で、オリジナル振り付けも作るような人なのだ。2ndツアーでカバーした『Honey Bee』の振りを勝手に変えて踊ってたら先生がOKしてそれでいくことになってしまった、というエピソードを聴いた時は心から喝采した。頭が小さくて腕と脚が長い、肩や背中は広くて薄く、肩幅はあるのに猫背と撫で肩のせいで線は細く見える、という「好きな人(※含む私)は好き」な絶妙の体格で、何を踊っても雰囲気が出る。見せ方も上手くて映える体の使い方も心得てるなと思う。

そう、スキルは高い、のに、何故か、スキルメンというイメージが強い訳でもない、のは。
恐らく彼を見た人は、みんな薄々わかっているからだと思う。歌も上手いしダンスも上手い、けど、彼を語るにはそれだけでは足りない、ということを。


彼のパフォーマンスについて、いつからか私たちは、しきりに「表現力」というワードを使って褒めるようになった。

アイドルのライブでの演目について、「歌が上手い」でも「ダンスが上手い」でもなく、「かっこいい」でも「かわいい」でも「セクシー」でもなく、「表現力が凄い」。
実際にまだ見ていない人に対しては、これはなかなか伝わりにくい、抽象的すぎる褒め言葉だという気はしている。だから本当はもっと、分かりやすく刺さる言葉を探したい。なのに見つからない。それは多分、そこが「開拓地」だからなのだと思う。彼が狙ってそこに向かって行ったのかどうかはともかく、少なくとも私は、こんなアイドルを他に知らない。

例えば、先月のDDソロライブで「課題曲」とまで言われた人気曲『カーニバルと少年』。
美しいメロディーと情景描写、お祭りのサーカスを連想させるポップな振り付けで彩られてきたこの曲を、彼は残酷なほど悲しく苦しい物語をひたすら抉り出すように歌った、その独創的なアプローチが私はとても好きだ。彼の『カーニバルと少年』は、この喩えが伝わるかわからないが、さながら『本当は怖い○○童話』だった。オリジナルの振り付けをポイントで生かしながら全く違った世界をそこに出現させてしまった振りアレンジ、苦悩と狂気に加えて静かな影を纏った色気を覗かせる表情と歌声、そして、「1サビで切った手首をラスサビでは相手に見せないように隠している」という不穏な、でもとても切なく愛しいその仕草ーーーー

また、そのソロライブで披露されたカバー曲でいえば、『1230』のフルver.についても言及しない訳にはいかない。
なんと言っても、2番のAメロ「変な名前のカクテル飲みながら~」のコミカルにくるくる変わる魅力的な表情と、そこから「二人で勝手にやっとけばいい そんな自分が大嫌い」に到る、本家ではもうしんどくて見られないのでは?と思ってしまうあのBメロの痛みの素直な表現は、胸に刺さるものがあった。そして、そんな全てをひっくるめて生きようと思わせてくれる、ラストの「どんな未来なのか知らないけどね」の笑顔。

平気な顔でこんなことを、しれっとやってしまうから怖い。その発想は「アイドル」としてありなのか?というレベルの曲の解釈を、しかし紛れもないアイドルとして、彼は自然にステージで成立させてしまう。
しかも、冷静に考えると吃驚するのだけど、これは聖誕祭の経験もまだない彼にとって、初めてのソロライブだ。初めての、選曲も演出も自分でしたのだろうソロライブで、こんな演目を何でもないことみたいに安定したクオリティでやってしまうから本当に怖い。


そもそも私が彼を知ったのは、MeseMoa.ベイビーズオーディションの歌の課題曲『白い服を君と』の動画だった。声が好きだなと思ったし、歌は普通に上手かったけど、恐らく私がその動画に惹かれた1番の要因は、そこに「物語」の片鱗があったからだ、と思う。

彼のパフォーマンスには「物語」が棲んでいる。
ただメロディーがこうだからそれを歌う、振り付けがこうなっているからそれを踊る、で終わらない。先日のソロライブでの『カーニバルと少年』『センチメンタル』については彼自身が配信やブログで語っているが、恐らくこの2曲ほど具体的な形ではないにせよ、多くの曲で、彼のパフォーマンスには彼の解釈したその曲のストーリーやコンセプトがまずあって、その世界観がとても深くて豊かだ。メロディーや振りはその「物語」の姿を現すためのものとして新しい役割を与えられている、若しくはほとんど生まれ変わっている、ように見える。
「この曲を自分はこう表現する」という意思と構想が、人一倍強く色鮮やか。それは確かに、あの課題曲動画の時からそうだった。
少し前までは、その構想に彼自身の身体が追いついてないような感覚が見ていてずっとあって、その若さもそれはそれで魅力だった。それが遂に追いついた、と個人的に感じて震えたのが昨年末の『スウィートタイム』(【あづたいが】スウィートタイム【踊ってみた】 https://nico.ms/sm36048472?cp_webto=share_others_androidapp)であり、年明けからの2ndツアーだったのだけど、ソロライブでの『あゝ雪月花』(https://youtu.be/iIwa7jirLfI)なんかを見ると、まだこれは全然ゴールじゃない、と思える。ぞくぞくする。まだまだ進化するところが見たい。


これは彼に限らず、パンダドラゴンというグループ、或いはそのメンバー皆にあてはまることではあるのだけど、彼を見ていると、長生きしよう、と切実に思う。
今までずっと「最新が最高」で、その新しい「最高」を見る度に、もう自分はいつ死んでも悔いはない、とわりと思っていた。それで幸せだった。でも今は、彼の1年後、3年後、5年後が見たくて仕方ない。どんなパフォーマンスをするようになっていくのか、はたまた活躍の幅が拡がって新しいステージで新しい顔を見せてくれる日が来るのか、どうしても見たい。絶対に、どうしてもどうしてもどうしてもだ。
およそ他人の未来に対して、こんなに強欲になってしまうのは、怖いことだし、言葉を選ばずに言えば傲慢だとも思う。彼もソロライブで歌った名曲『ニバンセンジ』の歌詞のように、いっぱしにアイドルしちゃっていて欲しいし映画スターもミュージシャンも見たい、そして、できれば幸せに生きてほしい、と思う。けど、何が彼の幸せなのかも、そもそも彼が幸せに生きようと思ってくれるかどうか自体、どうしたってわからないことだし、その選択に、私は関与できない。
だからせめて、見届けられる程度には、長生きをしようと思う。深夜まで詰め込むような仕事の仕方はしない(根っからの怠け者なので今までも別にしてないけど)。ジャンクフードは常用しない(でもたまに食べるとめっちゃ美味しいよね…たまに食べます)。煙草はもともと吸わないけど、お酒も量を減らす(………………ごめん無理かも)。


推しの所属事務所、当時出来たばかりの会社が始めたオーディションで、まあやるんなら応援した方がいいのかなって、そんな気持ちで見始めて。
折角オーディション見るなら推し候補がいた方が楽しいだろうな、じゃあ、この中ならこの子にしようかなって、そんな感じで投票するようになった、筈だった。
要するに、こんなに好きになるつもりじゃなかったのだ。


そう、「はじめは遊びのつもりだった」、


でもそうですね、








恋とはそんなものですか。












あづくんへ

いつも救われてます。ありがとう。
私は、「あづ」というアイドルがいるこの世界が好きだし、我が儘を言えば、貴方がアイドルでいる世界を信じていたいです。でもまあ、なんていうか、気にしないで楽しく生きてください。まあ大丈夫か。そうか。
いずれにせよ、貴方を好きになれて良かったです。お誕生日おめでとう。

2020.6.11
ロビ