(仮)

好きなことを好きなだけ語るためのブログ

世界の終わりとその後のオン・ザ・ハッピーロード

この人を推していく上での自分の大きな問題点だと思っているのだけど、

私は、彼の言葉を信じることが、
とても苦手だ。




..............おいおいおい仮にも推しの誕生日に上げるブログの書き出しだぜ大丈夫か、これ。ははは。


6月のブログです。どうも。
でも、この曲の話をするには、少し時間を遡る必要がある。



『ON THE HAPPY ROAD』という曲があります。
パンダドラゴンの最新アルバム『MARCH』に収録されている、あづくんメイン曲です。

このアルバム発売前後の時期のパンダドラゴンについては以前のブログで書いた訳ですが、その3月に至る少し前、1月。
祐矢くんの卒業が発表された直後のタイミングでのオンライン特典会。
いま思い返しても、まあなんていうか、攻めたスケジュールだな、とは思います。よね。



特典会のレポを書いたり会話をメモしておいたりする習慣のないオタクなので、その時に彼と話したことの全部を覚えているわけではない。けど、

「怖いよね、すごくわかるよ、でも、信じてください」と言われて、

信じるよ、4月からもずっとパラゴンを応援する、とは答えられなかった。その記憶は、強く残っている。
信じる、と、言った方がいいんだろうな、と思った。言えたらいいのに、と。でも言えなかった。

最終的に、冗談のつもりで、「3月までに単推しになれば問題解決なのかもしれない」と言ってみたら、「なるほどね、頑張るよ」とあっさり返されてしまって、逆に焦った。
通話を切った後、あーーーやばいなこれはお互い相当切羽詰まってるかもしれん、と思った。



言うまでもないことですが、この私の「3月までに単推しになる」という試みは、その後、『NEO TRAVELLER』のリリイベと銘打たれたオンラインフリラでの『大人になる前に』の初披露、さらに以降の数々のイベントや配信やその他膨大な供給により、あっという間に瓦解しました。私は、「7人のパンダドラゴン」が大好きで、その終わりが近づいているというのに、どんどん大好きにさせられる一方で、途方もなく幸せで、滅茶苦茶に怖かった。そうですね、いま思い返してみても、あの時の、あの「なるほどね、頑張るよ」だけは、信じなくてほんっっっとうに良かったですね。単推しにならせてくれる気なんか、ゼロだったじゃねぇか君ら。
3月は毎週金曜の夜にライブがある、と知って、仕事を調整して毎週午後休を入れ(当時住んでいた所からは、夜のライブに行くには午後休を取って昼の飛行機に乗る必要があった)、さらに3月31日に休暇を取って東京に行く、という当時の自分の状況からするとまあまあアクロバットな根回しを終えた時には、もはや開き直りの心境でした。どう足掻いてもこんなにパンダドラゴンが大好きなんだからしょうがない、ボロボロになるまでつきあうよ、という気持ちだった。

要するに、当時の私は、多分ほとんど、3月31日で世界は終わるのだと思って生きていた。
「7人のパンダドラゴン」が、「きっと7人ならだいじょうV」が、存在しない世界に自分が生きている、という想像ができなかった。
その先のことなんて、何も信じられない。



なのに、3月31日のステージでも当然パフォーマンスされるはずのその曲は、「明日も明後日も」と歌って終わるのだ。
「今日で世界は終わり」だと思って私は、そのステージを見るはずなのに。
その事実に気づいたのは、前夜に上がった彼のブログ(『身を知る雨とシンガロングヒーロー。』)を読んだ時だった。



『ON THE HAPPY ROAD』は、

このブログを書いている時点で、まだライブでは2回しか披露されていない曲だ。そして、その2回は、どちらも3月だった。
つまり、6人ver.はまだこの世界に存在しない。いま見ることができるパフォーマンス映像は、初披露時のちぇりめもセミファイナルだけ。だけど、余談ですが、(当時の)パラゴンの、「初披露曲の配信映像は基本的に引きの定点で全体を見せる」という方針、改めてとても有難いですね。これに救われたファン、かなりいるのではと思います。

先にダンスの話からすると、この定点映像のアーカイブがあるおかげで、推しの踊りのメインパートを堪能できるのたいへん嬉しいです。冒頭とラスサビ前で、ステージ中央、みんなの中を駆けていく時の「主役登場!」感はやっぱり胸が踊る。Cメロ前半、歌割をなるたみに預けてセンターで存分に踊るところも個人的にめちゃくちゃ好き。こういう踊りのニュアンスの付け方、センスだよなぁと思う。この人のパフォーマンスが好き、と言える推しになってくれて本当に嬉しい。
そして、たいがちゃん曰く「オシャレ」な彼の声の魅力を活かすジャズナンバーをメイン曲に持ってくるという采配、心からありがとうございます。例えば冒頭にも登場するスキャット的な歌割、歌い込んで遊びが出てくるのが私はすごく楽しみです。深く柔らかい、特に低音の独特な歌声の響き、以前どこかで彼が、「自分は1Aに歌割がある曲が少ない」と言ってたことがあるけど、もしそうだとしたら、それは恐らく、この声に「説得力」がありすぎるからじゃないか、と思う。最初の一音の発声で勝負を決めてしまうというか、納得させてしまうので、「起・承・転・結」の「起」には持ってきにくいんじゃないか、と。だから、「最初から全部わかってるよ」、というスタンスの曲こそ、冒頭からこの声の出番なのかもしれない。「僕らはきっと世界の希望」、「今からここは誰がなんと言おうと世界の真ん中!!」、「いつでもどこでもシンガロングヒーロー」、それらは多分、曲の冒頭から決まっていることなのだ。きっと、これを歌おうとする彼または彼等の、決意と覚悟として。

そして、「歌い笑ってGo! 明日も明後日も!」と、晴れやかに歌い上げて曲は終わる。
個人的に、もし、ドキュメンタリー ・オブ・パンダドラゴン、みたいな映画を作るとしたら、エンディングテーマこの曲だな、と思います。明日も明後日も、歌い笑って生きていく。そう信じて終わりたい。



その「明日も明後日も」を、世界が終わる日のステージを見て、自分は信じられるかどうか。
それを観察したい、と思いながら、あの日、Zeppに向かったことを覚えている。






私が、この人の言葉を信じることが苦手なのと「あいこ」みたいに、
この人もかつては、なかなかこちらの言葉を信じてくれない人だった、と思っている。

もう遥か昔の話だけど、私がパラゴンの現場に行き始めた1st.ツアーの頃の彼は、ライブ後の特典会で、どの演目のどの部分のパフォーマンスが良かった、ここの表情が好きだった天才だった、とどんなに褒めても、全然嬉しそうじゃなくて。ずっと困った顔をして、「嫌なわけじゃないけど、恥ずかしい」とか、「アイドルをしていく上で、(褒められることに)一生慣れないと思う、慣れなきゃいけないんですけどね」とか言っていて、ライブ後の特典会なんてその日のパフォーマンスを褒める以外に何をすればいいのか知らなかった自分は、随分困惑した。
2nd.ツアーセミファイナル、仙台公演ライブ後の特典会で、次は新宿BLAZEですね楽しみです!、と言ったら、「整番いいと良いですね、人多いから。パンダドラゴンにしては、珍しく。」と口角を片方だけ持ち上げて言われたのは、面白すぎてちょっと忘れられない。

その同じ人が、
いつの間にか、特典会での「褒められ待ち」がかわいい、とTLで話題になるようになり、
新宿BLAZEから約1年後、ファンが増えて、ライブのチケットも取れなくなるかもって声に対して、「もっと大きくなって、今まで応援してくれた人たちももっと大きな会場に連れて行けるようになりたい。ファンが増えれば、チケット取れなくなるとかもあるかもだけど、会場が大きくなるっていう可能性もありますから」と語るようになるなんて、誰が想像しただろうか。

いつの間にこの人は、こんなに強く、例えば「未来」、例えば「希望」を、語ったり綴ったり、するようになったんだったろう。
それが心境の変化なのか、進化なのか成長なのか、或いは実は内面は変わっていないのに、立場や役割の変化によって色々背負った(若しくは本人が勝手に背負ったと感じてしまっている)結果なのかはわからない。外部環境の変化によるものだとすると、一般論としては、それは必ずしも明るい兆しだとは限らない。「未来」や「希望」を強く語ることは、そうしなければそれらが見えにくい状況の裏返し、というケースもある。
でも、まあ大丈夫じゃないか、と思う。
その理由の全てを共有することはできなくても、彼が、「僕らはきっと世界の希望」と歌う曲のメインを背負う存在になった、という事実は、やっぱり美しいと思う。現象として。
全部見届ける。大丈夫。



アイドルとファンは、


共有しているものも共有できないものも、「共有してるつもりにさせてもらってるもの」もある、と常々思っている。

ファンに対して発表できない情報があるのは当たり前で、私たちは、彼等の知っていること、話し合っていること、考えていること、感じていることの、全てを知ることは出来ない。演者、制作者には私たちの知らない事情がきっとたくさんあり、それらを反映した結果がこちらの需要や利害と一致しないこともしばしばある。解釈の大半は、所詮妄想。それは当然の前提だ。
でも、例えばあの日のライブの感動や興奮、例えばあの時の特典会で話したこと、例えばあのブログ、あのツイート、あの配信で。言いたかったことが通じた、伝えたいと思ってくれたことを受けとめることができたと思った瞬間、そのひとつひとつが。彼等が共有しようとしたもの、或いは共有していると思わせてくれようとしたもの、であることは、きっと間違いじゃなくて。
そこに何らかの意味での「真実」があると信じていなければ、ドルオタなんて、今更やっていない。


彼は、

アイドルとファンの関係を、「みなさんと僕らは家族ではないし、友達ではないし、この関係を表すのに最適な言葉はまだこの国にはな」いけれど(参照:『眼鏡と多量。』)、「特殊な関係に思われがちだけど、実際には感謝の気持ちや相互の愛で繋がっているとても単純でとっても人間的な関係」(参照:『胸ポケットと3。』)、だと言う。

最初にそれを読んだ時、革命だ、と思った。

みんなが夢見ていることを、言葉にして、形に残したこと、そこに命を吹き込んでしまったこと、アイドルとして恐ろしい才能だと思う。自分で気づいてるかわからないけど、天才だよ。
現に私は、ひとつひとつの言葉の全部を信じることにはやっぱり臆病だけど(「この動画近いうちに撮ろうと思ってる」「これもそのうちやろうと思ってる」とぽろっと言ったまま実現していないコンテンツ、だいたい覚えてる執念深いオタクなので、どれも気長にお待ちしておりますが、期待はしていないので気にしないでください)、その関係をもう少し、信じてみたいなって思ってる。







私は、この人の言葉を信じることが、とても苦手だ。多分これからも、当分の間は。

それはきっと、信じることが、幸せすぎてしまうから。









あづくんへ

お誕生日おめでとう。
今年も、あなたのお誕生日をお祝いできる世界であることが、心から嬉しいです。
これからも、大好きな、自慢の推しであるあなたの産まれた日に感謝する機会が、1回でも多くありますように。
どうか歌い笑って、


ON THE HAPPY ROAD.




2021.6.11
ロビ