推しによる「設定」をタイトルからぶち壊していく試み。
毎年恒例8月16日に予定されていた「MeseMoa.の日」のフリーライブ、その5人体制になってから初の開催。
台風で延期になったとき、
あっこれは延期後の日程が仕事で休めないパターンかも、だったら凹むな、って思ったし、
でも、それ以上に恐れていたのは、「最終的に延期日程の調整がつかなくて開催できないまま終わる」という展開だった。
なんでも最悪の方向にいったん想定しておく私の癖は、こういうときも抜けない。
悔しい。だって、今のMeseMoa.こんなにいいのに。それをアピールする最大のチャンスなのに。単独公演に行ったことがない人も、最近現場から離れている人も、MeseMoa.の日のフリラなら見てくれるかもしれないのに。何より、あんなに気合い入れて、5人ver.で初披露の曲たくさんあるって言って、めちゃめちゃ練習して準備してたの知ってるのにーーーーーー。
いやぁ杞憂で良かったです。
まあ、今の状況なら振替公演は平日の豊洲PITだろうなとは思っていて、結局仕事は休めない日だったけど、どうにかして開場前には(というか、めっちゃ気合を入れて早退を試みた結果、かなり余裕を持って)、たどり着くことができた。
最高のライブでした。たどり着けて良かったです。彼らも私も。
ゆあざ5人ver.で始まり、新曲、ライブ定番曲のジゴロとラキボ、最新シングルの映像と初披露、ってきて、
…………いや、フリラって普通さ、この辺で終わるものらしいよ。MeseMoa.の日のフリラが毎年のように2時間近くあるのが、どちらかというとおかしいんですよ。
私は、ネイルサロンで水色をオーダーした流れで推しの話になったとき、「『推し』ってどこからが『推し』なんですか? キュンとしたらですか?」って聞かれて「お金を落としたい、と思ったところからですかね」って答えたオタクである。これのチケット代が無料なの本気で納得いかないと常々思っている。
しかし、今年も例外では無いのだった。MeseMoa.の日のフリラは、文字通り、ここからが本番。
例のブロック、絶対に書いておかなければと思ってるのは、
まず『殺生石セッション』の曲頭! の、とみたん!
この曲の話は前にもしていて、同じ話の繰り返しになっちゃうんですが、その日とみたんがどう歌うかによって全く違う表情、物語になる曲で、いつもすごく楽しみです。
この日は、まず冒頭、曲の始め方から、さいつよだった。あまりにも。
あんなにメンヘラにもなれる人なのに、どうしてこんなに綺麗な自信に満ち溢れた顔も仕草も背中の見せ方も、できちゃうんだろう。その自信が美しくて思わず見惚れた。
そして、あの顔で最初のポーズの場所についただけで、というか、その位置にいくまでのモーションだけで、もう「殺生石だ!!」ってわかるの、めっちゃ素敵な瞬間でしたね。
美しく逞しい獣、神話の英雄譚には絶対必要なキャラだと思う。どれだけ死ぬほど褒められても埋まらない巨大な空洞があることなんて、本当は賢いからとっくにわかっていて、それでも欲しがる鮮やかな強さ。私はこのとみたんがとても好きです。
『真逆の糸』も、まず最初のポーズで客席が沸いたことがその一員として嬉しかった。みんな待ってたよな。
開演前、連番してた同担の絵描きさん(とりあえずいったんぼかした)(ぼかしたのかな…)(そう、この日はライブ連番だったんですよ! 集団行動できない私にしては珍しく!)と、この曲の話になった。
「今もしこの曲をやるなら二番煎じのポジションは野崎弁当かノックソか」って話になり、あの苦悩する場面どっちも見たいね!ってなった。真逆の糸って、絶対的に「センターは二番煎じ」ありきで作られた曲なので、誰がそのポジションをやったとしてもオリジナルとは全く別の作品になることは明らかな訳で。オタク、そういうの見たいんよな。すげぇ見たい。
だから、もう最初のポーズの瞬間から、「きたきたきたきた!」だったわけですよ、待ってたやつや!って。
でも、端的に言って、クオリティ想像以上だった。MeseMoa.ってやっぱり凄い。
「I need them」のハーモニーの分厚さ、歌声の厚みに彼らのプライドと意地を感じたし、これがMeseMoa.のライブ!って思ってるポイントに彼らもこだわってくれてることがわかって嬉しかった。印象的なイントロと間奏のダンスも抜かないし、セリフのパート割もすごい解釈一致。
そして、野崎弁当である。
それこそ想像以上に野崎弁当だった。足掻いてもがいて見苦しく身勝手な思考に溺れ葛藤して、生涯で唯一の善行と評価された救った「蜘蛛」にも振り向いてはもらえず(あのあおいくんとのシーン、あおいくんが「蜘蛛」の役なのかもって初めて気づいた。野崎さん、実際は知らないですけど芥川の「蜘蛛の糸」は人生のどこかで読んでるだろうと思ってしまうし、ご本人があんな極悪人じゃないことは百も承知なんですが、見ようと思えばカンダタに見える。)、それでも諦めず、往生際悪くしぶとく強かに生きる道を探す「人間」の姿だった。
野崎さんがあの曲を表現しようと思って解釈考察の末にそう演じたのか、「野崎弁当」というアイドルないし人間の本質が滲み出た結果そう見えるのか、は、わからないし、他推しの自分が軽々に断言できない物事なのかもしれない。でも、後者だったらいいな、とちょっと思ってる自分がいる。
『Polaris』も、そろそろ5人ver.が聴きたい、初披露がくるならMeseMoa.の日だろうと思って、待ってた曲だった。
「ハッピーな気持ちで聴いて」ってあんなに念押されたら、逆に身構えるよ!?ってなった、これまでないほど笑顔のPolaris。
ライブでこの曲を聴く度に、運命の歌割りだと思う。「そこにはヒカリがあった」を歌える人は、ぷんちゃんしかいないよ。
幕張メッセで初めて「そこにはヒカリがあった」を聴いたとき、それは、「暗闇の中で遠くに見える希望の星」だと思った。
今になって思うと、あのときはすごく、ーー言葉を選ばずにいえば、怖かった。コロナそれ自体というより、それまで当たり前に楽しんでたライブやイベントが嘘みたいになくなって、元の世界に戻れるのか誰にもわからなくて、私たちの生きてた世界ってこんなに脆いのかって突きつけられたこと、が。
幕張メッセは、そんな中で、「それでも追い続ける希望」の象徴的なものとして開催された大規模公演で、だから、あのときの「そこにはヒカリがあった」は、痛いくらい張り裂けそうに切なく、そして強烈に聴こえた。そのための、音域いっぱいの高音なのだと思っていた。
その「希望」を、私は信じてついてきた、かというと、白状すると、必ずしもそうではない。
今だから少しちゃんと言葉にするけど、あのとき見た『陽之鳥』を私が上手く受け取れなかったのは、その状況下で強いメッセージを込めて歌われた「MeseMoa.は『不死鳥』である」という物語、を、私は信じられない、と思ってしまって、信じられない自分は「イルミィ」じゃない、と思ったからです。
今回は、あのときと全然違うPolarisだった。「このメンバーみんなでたどり着いた明るくてあたたかい世界」の「ヒカリ」だった。
その景色の一員でいられることが嬉しい。
これは、一緒にたどり着いた場所なんだ、と思えることが嬉しい。
あの日、信じられないと思ってしまった自分が変わったわけじゃないと思う。私は、今も、MeseMoa.は不死鳥だと思ってないし、ていうか「鳥」だと思ってない。産まれつき飛ぶように作られた生き物じゃないと思っているので。「どんなに高くジャンプしても、いずれ僕らは必ず地面に着地します」。
夢の全部を素直に叶うって信じることができない。信じてるよ!って言ってあげられない。これはもう性格なのでしょうがないですね。ごめんな。
でも、叶っても叶わなくても最期まで一緒に見届ける。その覚悟はある。そう思って私はずっと歩いてきたつもりでいる。
その果てにたどり着いたのが、この笑顔のPolaris、あったかくて明るい世界だった。幸せです。連れてきてくれて、ありがとう。
練習ではギリギリまで声が出なくて、って話をおやすみラジオでしてたけど、
もしもそうだとしたら、ステージにはきっと神様がいて、その神様は、気まぐれプリンスのことめっちゃ愛してると思う。神様、この人、ステージで歌わせたいですよね。わかるよ。
大好きな優しい笑顔の「またね」、出会えて良かった。
『銀河系クラシック』も、いま5人が歌うのを聴くと、歌詞がまた改めて意味を持ってくる曲だなって思いました。
アイドルで在ること、在り続けたこと、そして、これからも「続く銀河系の暮らし」。
MCでぷんちゃんがパシフィコ横浜公演について触れたとき、
「もがいていきたい」って言葉を選んだところで、わぁ大好き。ってなってしまった。
これだけのスキルと経験を持っている人が「もがく」って口に出して、これを言えるエネルギー、誠実さ、根気強さ、仕事に向き合う丁寧さ。前を向ける真っ直ぐな強さ。
それは、これまで推してきた年月の中で増えた、推しの好きなところです。最初に好きになったのはダンスだったし、天才的なライブパフォーマンスがあってこその推しなのは変わらない。でも、例えば推し始めた頃の、「人間性を見にライブに行ってる訳じゃない」とか言ってた自分にいま会ったら、今の私は、それなりに反論したくなるんじゃないかな。オタクも年月と経験を経て成長するんですよ。多分。
『New Journey』、イントロから無条件でわくわくする楽曲で大好きです。
新しい冒険を、彼らは、そして私たちは、また行くことができるのだ。
生歌を聴いてこそ存分に味わえる、MeseMoa.のユニゾンやハーモニーの声の分厚さ、ライブの最大の魅力のひとつだと思っていて、5人体制になってから作られた楽曲も、それを聴かせるんだ!という作りになっているのが大好き。
Go forward to the sun.
アウトロのふわっと晴れやかなビブラート。青い空と白い雲が見える。すごく良かったです。
ぷんちゃんって、希望を歌うための声を持ってる人なんだなぁ、って思う。誰もができることじゃないよ。
本当にずっと楽しくて、1曲ごとに1曲も例外なく興奮したり感動したりさせられるセトリとパフォーマンスで、そうさせるMeseMoa.の圧倒的な地力を感じる、物凄いライブだった。
キラキラした、でもちゃんと地に足の着いた、「その先の世界」を見せてくれた。読めないシナリオの先の、出会える保証のなかった世界。
見せてくれて、ありがとう。この世界を一緒に生きることができるの、ほんとに嬉しい。
ぷんちゃんたちは、よく、「昔を思い出して寂しい気持ちになったりしても大丈夫」って言う。「ライブを見てどういう気持ちになってしまったら間違いとか、そんなの無いから」、と。
そういうところ、すごく好きです。同じライブを見た人みんなが同じ気持ちになる訳じゃない。そのことをわかってて、それぞれの目線でステージを見ている客席を、そのまま受け入れてくれているところ。
そうだとしたら、
こういうオタクも1人くらいいたっていいのではないか。逆に。
私は、8年オタクやってて、今のMeseMoa.が、正直いちばん好きです。