(仮)

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日記、4月29日(木・祝)。幕張メッセ。

※この記事は、幕張メッセ公演のレビューとか感想とか、そういった内容を主軸にしてはいません。いちオタクがその日をどのように過ごして何を考えていたか、というただの日記です。全編、完全に、私事です。
そういうの覗いてみたい、という方がもしいたら、どうぞ。




2021年4月29日(木・祝)。雨。風が強い。


物販を干すことに決めたのは、前日夜だった。
四年前の中野で懲りて以来、大きな公演の物販に並ぶことについては基本、消極なオタクなので、どうしようかなと思ってはいた。自分の場合、ライブを見るための体力気力を削らないことを優先した方がいいのでは、と。
でもまあ、直接的な理由は、ネイルの予約を入れてしまったから。

もともとネイルには、5月1日、パンダドラゴン撮影会の直前に行く予定だった。
別にそうしようと決めていた訳ではなかったのだが、気づいたら、推しのメンバーカラーである水色と緑のうち、その時期に現場が多い方、の色が基調のデザインを選ぶことが多くなった。3月は圧倒的に緑だった(3月のパラゴンのえぐさについては、前回ブログ参照)。4月は、対面特典会があったし、幕張メッセもあるし、と思って、水色のネイルにしていた。
幕張が終わったら、5月1日に、爪を緑にしてその足で撮影会に行く、というのが、本来の完璧なスケジュールだった。
ところが、前日夜に私は、オンラインになったMeseMoa.の特典会の、買う予定がなかった5月1日分を買い足してしまっていた。予定では、幕張公演直後の1日は話したい人が多くて集中するだろうから、まとめて取ってゆっくり話すなら2日だろうと踏んで狙っていたので、1日の売れ行きがどんな感じかとイープラに様子を見に行ったのも遅くて、買えるつもりじゃなかったのだが、当初設定されていた一日上限5枚というあの罠である。
5分話せるなら、1日の分も買っちゃうか。今から買ったら整番遅いだろうし時間読めないけど、終わってから横浜に向かっても、パラゴンの撮影会に間に合わないってことは、まあないでしょう。
あっさり5枚買えてしまった。表示は〇のままだった。
特典会の時間帯と重なってしまうネイルの予約日程を変えようとしたら、29日の公演前しか時間がなかった。日替り2Lは諦めたけど、その他の欲しいと思っていたグッズとCDは通販にしたからいいとして、問題は、結果的に、緑に変えたばかりの爪で幕張メッセに向かう羽目になったということである。

まあいいか。大丈夫、ライブ見に行くだけだし。あの会場で、顔だって分かるかどうか、爪なんて見える訳じゃない。そもそも、別に対面が普通だった頃の特典会でだって、推しに爪について言われたことなんてそんなになかったし。
それでも何となく後ろめたい気持ちで、海浜幕張駅に到着したのは開場時刻を過ぎた頃で、まあまあの荒天だった。





ちなみに、その後、1日の撮影会であづくんには「爪、前からそれだったっけ?」としっかり聞かれたわけですが、その時に私が変な反応をしてしまっていたら、それはここまでの一連の流れが原因です。ははは。申し訳ない。

閑話休題





会場に着いたのは多分、開演の1時間前くらいだったかな。
長く伸びているのは物販の列で、入場列はほぼ人がいなくてスムーズだった。
入ってすぐに、例のパネル。取り急ぎ推しの写真を撮って。大きな会場でどうかなと思っていたけど、知っている方何人かとはロビーや通路ですれ違って、ご挨拶して、席に着く。



待って。


近い。ステージが。近い!


私の座席は、2階スタンドの端も端、メインステージのほぼ真横だった。すぐ真下に、ステージ端の通路みたいになっている部分が見える。思っていたより、ステージが近い。というか、2階席の高さがあまりない。
一昨年に行ったパシフィコ横浜は、「縦」に大きな、全体に高さのある会場だったと思う。その時も私は2階席だったのだけど、もっと、ステージを遥かに見下ろす感覚だった記憶がある。
それと比べると、幕張メッセは、「横」の拡がりが大きい。広い。でも、ステージはすごく近い。自分はメインステージ側のスタンドだったけど、センターステージ近くのスタンドも楽しそう。

開演まで、その会場の広さと、ステージの近さに、ずっと興奮していた。
これはみんなそうなんじゃないかと思うのだけど、当日が来ても、会場に向かってきて席に着くまでは、本当に開催できるかわからない、という不安を抱えたまま、ここまで来ていた。いつ、突然、「要請を受け、公演は中止となりました。」「無観客開催に変更となりました。配信のみの実施となります。」「直前のお知らせとなり大変申し訳ありません。」って言われるかわからない。その後、特典会で話したら、推しも「準備しながらも、明日中止って連絡が来るかもしれない、って覚悟はしてたし、リハが始まってからも、本当にできるかわからないって思ってた」というようなことを言っていたので、みんなみんな、そうだったんだと思う。
でも、会場に入って席に着いたら、その興奮で、不安も忘れてしまった。ここまで来れば大丈夫。私はこれから、このステージに立つ、推しを見るのだ。



公演が始まって、夢みたいな3時間が過ぎて、それが終わった。



ライブの感想。

そうだな、


まず、いきなりその話からするのかって感じですが、『陽之鳥』に関しては、
配信アーカイブYouTubeの映像があって本当に良かったと思いました。あの迫力が伝わる映像を後で見ることが出来たのは、本当に良かった。

この曲は、今回のアルバムの中でも特に、明らかに、ファンに向けてのメッセージ性が強い曲で。でも、現地で聴いていて、「自分に向けて歌われている」という感じはあまりしなかった。
それは、一つには、恐らく前述の私の席位置の関係で、センターステージでのパフォーマンスは基本的にメンバーの背中側から見ることになるので、あの前に前に迫ってくるような振付や万感の表情の迫力を、自分に向かって来るものとして感じることがあまりできなかった、というのが大きいと思う。
歌もダンスも、美しかった、という印象は強く残っている。ここまで積み上げてきたもの全部、綺麗なものもキレイじゃないものもキラキラもぐちゃぐちゃも、トータルで、美しいな、と。

ただ、公演を見ながら、自分は「イルミィ」なんだろうか、ということを考えていた。
私は、『陽之鳥』で彼らがメッセージを届けたいと思ったその対象に、含まれているんだろうか。


こんなブログを読んでくださっている方はだいたいご存じかもしれないが、私はMeseMoa.に関しては、いわゆる「激単推し」である。
ライブに行けば、基本的に、物理的に推しが見える限り推ししか見ていないし、推しが見えなくなれば、たとえ他のメンバーが目の前にいても一瞬視線が泳ぐ。今回の公演で言えば、例えば、推しの乗っていない方のトロッコが自分の近くに来ても、遠くにいる推しのトロッコの方しか見ていない。嫌いなわけでは多分ないのだけど、自分にとって推しが圧倒的過ぎて、他に「好き」のエネルギーを振り分けられないのだ。

今更敢えて言うことでもない、と思いながらも毎回言ってしまうのだが、
気まぐれプリンスは、天才である。

ソロ曲メドレー、『サターンズリング』のダンサーで登場した時、これはあながち推し贔屓でもなく、「神演目になる」と、恐らく見ている全員が確信したと思う。そして、期待を遙かに超えるパフォーマンスだった。ライブを見ていて、「これを見ることができた今この瞬間死んでもいい」と思ったのは、久しぶりだった。
語弊があるかもしれないが、私はこの人のパフォーマンス、特にダンスの、「物語に裏付けられていない」天才性がとても好きだ。その表現が出てくるに至る設定とか解釈とか、本人としてはあるのかもしれないけど、たぶん私は、言葉でそれを説明されても、理解とか共感とか納得とか、できないと思う。言葉や理屈の届かないところで捩じ伏せられる、あの感覚が好き。

そのパフォーマンスを、大きなステージで、思いっきり大きなスケールで見てみたい、とずっと思ってきた。スーパーアイドルをしてる気まぐれプリンスが、ずっとずっと見たかった。
それが叶った実感が大きかったのは、『Mercury Eyes』と『ヒトリヨガリヨ』だった。
大きなステージが、なんて似合う人なんだろうと思った。歌にしてもダンスにしても、華やかでスケールの大きいパフォーマンスをする人だと思っていて、私はそこが好きなので、そうですね、かっっっっっこよかったです。最強だった。公演全体通してそうだったけど、この2曲は特に、そう!!これが!!!見たかった推し!!!!という感じがした。

Polaris』は、
なんでしょうね、好きだというと「意外」って言われるんですがね。推しにも言われました。でも、すごく好きですね。いちばん胸を撃たれた曲かもしれない。
ポラリスは、北極星。不動の星、「たとえ離れても同じ星を見ている」というテーマを強く印象付ける象徴みたいな星で。自分が東京を離れていた時期の諸々を、聴いていてどうしても重ねてしまうところがある。でも、いま、遠征がしづらかったり、現場から遠ざかってしまう環境の方って多いと思うので、同じように響く人、きっとわりといるんじゃないかなって思ってる。
落ちサビというかCメロというか、ソロを歌い継いでいく静かなクライマックス、すごく好きです。「そこにはヒカリがあった」を気まぐれプリンスの歌割にしようと決めた方は、きっと、この人の歌声の持つ「光」の力に賭けようと思ったんだろうな、と思う。わかります。幕張メッセでここを聴いた時、ああそうだ光だった、と思った。ここまで来るのに、何度も色んなことを諦めて、夢であって欲しかったような絶望もあって、それでも辿り着いた、やっとようやくたどり着いた、そんな光だった。晴れやかだけど、壮絶だった。その「壮絶」を伝えるために、あの音域ギリギリいっぱいの高音が設定されているのかもしれない。ここまで来て、良かったと思った。



問いに戻ります。私は「イルミィ」なんだろうか?
わからないけど、「私はイルミィじゃない」と思っている方が、楽なんじゃないか、とは思う。

普段の活動、言動を見ていると、推しがMeseMoa.というグループをとても大切にしている、ということは、痛いほどわかる。配信や特典会で話を聴いていても、他のメンバーの凄いところや、エピソードがどんどん出てきて、本当に好きだし大切なんだなと思うし、振付けやダンスについて、「俺がグループに貢献できるのはこれだから」と言うのも何度も聞いている。
だから、多分、自分のファンから、ライブ中推しカメラで自分しか見てないって言われるの、この人は嬉しくないだろうな、とずっと思っていた。言ったことがないか?と言われたら、まあ話の流れで何度かあるかもしれないけど。ごめん。
でも、無理なのだ。他のメンバーも、グループ自体も、魅力的なコンテンツであることはわかる。だけど自分は、気まぐれプリンスでいっぱいいっぱいで、一瞬も見逃したくないと思うと他に目をやっている余裕はなくて、箱で推す、というところにもう戻れなくて、理屈ではどうしようもない。
それなら自分は、彼(ら)の想定するファンではない、「イルミィ」ではないと思った方が楽なのではないか。



…………この日のことを書いたブログここで締めるの、ちょっとあんまりだな。ごめんなさい。

でも何ていうか、何が言いたかったかというと、変わらなかったんですよ。
幕張メッセを見たら、やっぱり自分は、気まぐれプリンスのパフォーマンスが宇宙一好きで、これを好きじゃなくなることは多分なくて、できるだけ大きなステージに立っているこの人を見たくて堪らなくて、少しでも長く見ていたくて、大きなステージでもどんな演出でもライブ中は推しカメラしかできなくて、要するに、ツアーで毎週ライブ通ってた頃と、全然変わっていなかった。自分が。




好きなものを好きなだけ、好きでいる。これからも。

好きなものを、好きなだけ。どうかこれからも。

好きでいられますように。







そんな話です。






2021年4月29日(木・祝)、幕張メッセ
この日があって、本当に良かった。