(仮)

好きなことを好きなだけ語るためのブログ

私のポラリス

この国の北の果て、

と言ってもあまり過言ではないと思われる地域で、2年間、暮らしていたことがある。



異動が決まったことを伝えたとき、「単身赴任の逆バージョンってこと!?」と言われて、一瞬うまく返せなかったことは、地味に今でも忘れられない。「逆バージョン」ってなんだ、私の仕事で、私が単身赴任手当を貰って行くのに、この人の頭の中では何がどう「逆」なんだろう、とか、色んなことが頭を巡って、結局、多分、意味のあることは何も言えなかった。いつものように。

まあ、でもそういう人なのだ。わかっていた。
推しであっても、恋をしようが愛していようが、共有できない感覚は、価値観は、世界観は、物語は、いくらでもある。相手は自分とは違う生き物なのだ。そんなことは痛いほど分かっていて、それでも推さない選択肢が用意されていない圧倒的な才能というものが世の中にはあり、つまりそれは、端的に言って、神様だった。
自分を捩じ伏せてくれる、自分が屈服することを認められる程の天才。強いもの、私がどんなに全力でぶつかっても揺るがないもの。
気まぐれプリンスというのは、そういう類の推しだった。私にとっては。



その2年間は、ずっと星空を見ていた。
東京と比べれば街の灯りも乏しい地域だったので、見たこともないような星空が、毎晩、贅沢なほど野放図に頭上に広がっていた。
星だけではなく、短い春夏に一斉に命を結ぼうと咲き急ぐ見慣れない花々の溢れんばかりの生命力も、夏が終わると絶望的な力で小さな町を覆い尽くしに来る雪もつららも流氷も、ディーゼル汽車の汽笛を聴きながら車窓から見る原生林や湖も、色んなものが野放図で豪快で、これは人間が勝てる力ではないなぁと無力に感服していたら2年間が過ぎた。スキーもゴルフも出来ずアウトドア的な趣味に一切縁がなく、車の運転免許さえ持っていなかった自分は、その自然の圧倒的な美しさ、威力を、持て余すしか術がなかった。もっと正面からいって、打ちのめされておいても良かった気がするのだが、手段がなかった。
でも、星は、何もしなくても浴びるほど見ることが出来た。美しい星空は日々ただただただ無防備に拡がっていて、東京では見覚えのない星や星座もたくさんあって、だけどそれらの見分けさえつかない程だった。あんな星空の下で日々暮らしていたら、人間なんてきっと、思い上がることもなくへばりついてでも生きようという気になれるものなんだろうと思う。自分の命は、とても、小さかった。

太陽は、月も、そして夜空の星も。
見る場所によって、見える時間や姿や映り方は、全く違う。同じ物を見ているのに。

でも、北極星は、ポラリスは、
不動の星だった。
見慣れない星が溢れている星空でも、北極星と、その周囲を回る「七つ星」は、はっきりと見分けることができた。いつも同じ位置にあるからだ。飛行機を使って東京から5時間以上かかる、知っている人の誰一人いない、自分にとってのほぼ「異国」で暮らす状況になった人間にとって、同じ方角に同じ星がある、あの人と同じ星を見ている、ということが、どれだけ救いになるか、伝わるだろうか。
これはひと繋ぎの同じ世界なんだ。あのライブは夢じゃないんだ。同じ現実だ。ここは別に異世界じゃないし、私は転生なんてしていないし、何も乖離なんてない。

そうやって2年間を過ごして、
東京に帰ってきた頃に発表されたMeseMoa.のアルバム収録曲『Polaris』に、なぜこんなに私がずっと囚われているか。それは要するに、そういうことです。



気まぐれプリンスは、私のポラリスでした。



Polaris』という曲は、
多分、素直に読んだら、「昔、一緒に夢に向かって頑張っていたけど離れてしまった仲間(元メンバーとか、スタッフだった人とか、この世界を離れてしまったかつてのライバル・同業者とか)」みたいな人たちを歌った曲なんだろうと思います。
でも、しようと思えばいろんな解釈ができるし、どれも否定しない、と優しい彼らなら言ってくれると信じているので、それに甘えて、「これは自分の歌だ」というファーストインプレッションをそのまま大事にすることにしました。「あの星はお前だよ」はそのまんまだし、「ただ息をするのも難しい」時もずっとあったし、「そこにいるなら返事くらいして」は、”SNS反応して”って意訳して聴いてしまったりします。ライブの配信カメラにファンサしながら、推しが「君もどこかで見てるだろう」って現地に来られないファンのことを思っててくれたら嬉しいですね、
そして何より、やっぱり、「そこにはヒカリがあった」。幕張でこれを聴いた時のことについては前にもブログに書いたけれど、あの壮絶に美しい光を、きっと私は生涯忘れない。



少し前に繋がった方に、私にとってはロビさんは、あづくんとぱっちくん推しのイメージです、というようなことを言われたことがある。
えっ、最近そんなに気まぐれプリンスの話してないっけ私???ってちょっと吃驚して(あと、あづくんだけじゃなくぱっちくんもそんな推してる印象持たれてるのかっていうのもわりと吃驚して)、自分のツイートとかブログを遡った結果、確かにそうかもしれなかった。単純に行ける現場と自分にとっての供給量の差だと思ってるけれど、使えるエネルギーとか時間の総量の絶対的な上限はどうしてもあるので、費やす対象が増えれば、そんなこともあります。

それと、何ていうか、昔みたいな極端に盲信的な推し方はしなくなったなぁと思う。
初めて気まぐれプリンスのダンスを見た頃は、こんな天才を知らない人が世の中にたくさんいるのは絶対におかしい、と本気で思っていたし、トラフィックライト。がデビューした当時は、水貴智哉は日本の国民的スターになるとわりと本気で信じていた。あとまあ例えば、ファンダカードが(勝手に)連載になっていった時はこんなに企画構成演技力の天才なのに何で一番に完売しないんだろうとか、ホールツアーの応援合戦だって誰がどう見てもずば抜けたパフォーマンススキルなのに何で1位になれないんだろうとか、メイン曲がしばらく来なかった時期は、うんうんらびじゃんもれんぼもあるもんね、これ以上贅沢言っちゃいけないのか…とか、えっとごめんなさいこういうド激単推しなのでそういうことを思ってたりもしたりした時期もあったというかそんなこともあったりした訳ですが。そういうの、いつの間にか、自分の中で折り合いついてきたなぁ、と思う。何年か推してきて、オタクしててずっと幸せではあるんだけど、その「幸せ」は、「一点の曇りもなく日々ハッピー!」という類のものではなく、「悔しい」も「切ない」も一緒にやってきてそれも引っ括めての「幸せ」で、そんなこんなを経て、分別がついた、とも言えるし、諦めた、という言い方をしようと思えばできるのかもしれない。他担の某後輩に「舐めてきた辛酸の差ですかね…」と言われたことがあるなぁ。やかましいわ。そんなところで無駄に素敵なワードセンス発揮しなくてよろしい。

ただ、「応援する」「推す」ことと「自分の好きを他人と無理に共有しようとしない(≒他人の好きも無理に共有したいと思わない)」の両立の、自分なりのバランスを見つけられるようになってきた気がするのは、わりと肯定できる変化だと思っている。大人になるの、悪いことばかりじゃないよ。

好きなものを好きなだけ好きでいる、ことを、見失わないために。



2年間の赴任を終えて東京に帰ってきて(なお帰ってきた日は3月31日ですがその話は散々した気がするので今回割愛する)、幕張公演よりも前に、とても久しぶりの対面特典会があって。
実物を目の前にして間近で言葉を交わすことができたのも、「おかえり」って言ってもらえたのも、自分の誕生日の直後の日程だったのでお祝いしてもらった(させたともいう)のも幸せだったけど、帰り際に、「会えて嬉しかった」って言ってくれたのが、たとえ決まり文句でも吃驚するほど嬉しかったです。私も推しにこういうのちゃんと言っていこう!って思いました。こっちは会いたくてイベントに行ってるんだから会えて嬉しいのは当然の前提で、なので意識しないとなかなか口に出して言う機会がないんですよね、意外に。いつも嬉しいですありがとう。

帰ってきた。帰ってきたのに。
幕張で聴いてから、そのあと私はまだ2回しか、『Polaris』を生で聴けていない。
最後の記憶は、6月初めの仙台です。その日はもともとパラゴンのツアー初日の大阪公演に行く予定で、それが延期になって、じゃあ…と一般で取ったチケットでした。だから後ろの方の席だったんだけど、運良く視界はわりと良かった。
確かその部分は、ステージ上に半円を作るみたいなフォーメーションで。これもラッキーなことに、推しがちょうど自分のほぼ真正面に来る角度で、それを歌うのを見ることが出来た。

この人にとっての、「そこにはヒカリがあった」が、この客席の水色のキンブレであってくれたら嬉しい、

と、その時ふと思いついて、


ああ水色振るために生きてる、と思った。






帰りの新幹線の中でLOVE BLOODツアーの足とホテルを押さえ、迷っていたブルーのワンピースの予約注文をして、、

なのに!

部署異動とか日程とかその他諸々が重なり、超好みのセトリと演出だったそのツアーに結局、一度も行けなかった時は、めちゃくちゃ悔しかったし、仕事は忙しくなるしでも決して嫌いじゃないし、他にも好きなものも楽しいことだってたくさんあるし、このまましばらくライブに行かずにいたら自分はこの人を好きな気持ちを忘れることができて実はその方が楽なんじゃないか、とか一時は頭を過ぎったりもしたけど、

やーーーーーー全然無理!!!!

行けるライブがあれば全力でチケット取りに行ってしまう。それが殺生石セッションのリリイベ初日、私にとっては約5ヵ月ぶりのMeseMoa.のライブだったのですが。
歌って踊る気まぐれプリンスは、相変わらず宇宙一でした。
表題曲のガールズダンスは水を得た魚のような得意ジャンルの鉄板感で、ラップパートのセンターダンスの気迫、ハイキックの抜群の高さ美しさ、2サビで華やかに翻す裾、ほぼメイン曲(※激単推し目線)であるオペラグラスのダンスのキレとミリ単位の音ハメに加えて頭の先から指先まで完璧な造形、最高に最高だったロングトーンとフェイク、からのUNBALANCE BOYの見せつけるような気合いのパフォーマンス、あらゆるポイントが天才を更新していた。

言葉で全部を共有できない相手だと分かっている。だからこそ、安心して死ぬ程褒められる。私がどんなに全力で言葉をぶつけて褒めたところで、この人は、揺るがないから。



もっとライブ見たい、もっと捩じ伏せてくれ、って、常に焦がれているので。



好きなものを好きなだけ好きでいることを、
これからも、私は見失わない。きっと。



見失わせないで。





気まぐれプリンスは、私のポラリスです。