(仮)

好きなことを好きなだけ語るためのブログ

それでもSPEECHが聴きたくて(えび座とかおもちゃばことか)

青森に持って行った新しい小さなリュックは、

到着早々、イヤホンを入れていた袋の紐をファスナーが噛んで、かなりがっつり食い込んで動かなくなってしまって、一時は身頃を切り開かないと中身が出せないかもしれないと思ったけど、チェックイン前のホテルのロビーでかなりの時間、格闘して、何かの拍子に噛んでいた紐がするっと抜けた。
諦めない。大事。

無事に使えています。これは、そのリュックと一緒にしている旅の記録のメモです。



12月16日、パンダドラゴン 「おもちゃばこ」ツアー、2daysだった青森公演を1日目だけ見て、翌日の17日は、飛行機で東京に戻る。荷物を家に置いてリュックだけ持って靴を履き替えたら、帝国劇場に向かう。

「ABC座星(スター)劇場2023 ~5 Stars Live Hours~」の夜公演を見に行きました。
9月に、河合くんがA.B.C-Zを脱退する、事務所には残ってMCなどタレントとしての活動は続けるけど、という報道があって、一度は見に行きたいと思っていた舞台でした。

この数年(参照過去記事: https://lovi-y.hatenablog.com/entry/2021/03/01/195043  )で、
こっちの現場に行くことができたのは片手の指で数えられるほどで、結局自分は「ファン」と呼べるほどのものにはなれなかったと思う。それでも、ライブ円盤は発売されれば必ず買って見てて、歌って踊ってアイドルしてる河合くんは楽しそうだと思ってた。とても。最後にリリースされたEP「5 STARS」の特典映像のフェスでのライブも、めちゃめちゃ楽しそうで、
わからないもんだなぁ、と思った。
自分は、インタビューとかSNSとかの発信を全て追ったりしていたわけではなくて、そのレベルの解像度しかないから、かもしれない。ずっと追いかけていたら、もっとわかるものなんだろうか。

河合くんという人は、生のステージで見ると、思ってた以上に華奢で小柄な人という印象で、数える程の現場の度に、それに新鮮にびっくりしてた。
画面越しで見ていた人と生で接したとき、イメージとのサイズ感の違いに脳がバグることってあると思うんだけど、自分の中で、この人は特にそれが強くて、なんていうか、生で見ると、自分と同じ「人間」という括りの生き物なんだな…という感慨がすごくある。
五関くんも小柄なんだけど、五関くんの華奢さは、例えば「妖精」の華奢さで、近くで見ても自分と同じ種類の生き物という気があまりしないんですよね。でも、河合くんの華奢さは、「人間」の華奢さで、なんかね、すごくリアルに人間なんだなって思うんですよね。その人間の身体で、アイドルしてるのを見るのが、私は好きでした。

ライブ仕立ての公演は純粋に楽しくて、大掛かりな装置を劇場の舞台に持ち込んでここまでやれるのか!っていうのも面白かったし、それを使いこなすパフォーマンスの華やかさもよかった。
河合くんの脱退前最後のステージなので、公演期間中、何度も通ってるファンの方も多いと思うんだけど、そんな中で、一度しか見ない自分のような観客でも楽しめて、意図がある程度伝わるようになってるの、さすが大手だなと思いました。
特にソロコーナーがどれもすごく良くて、本来は恋愛の歌と思われる河合くんソロ曲を、スポットライトでメンバーを思わせる演出に仕立ててるとか、一見さんの私でも、うわーーーーって素直に感動したし、戸塚くんはもう、この芸術的な才能をアイドルの舞台で突き抜けさせる道を獲得できて本当に良かったな、と外野から喝采してしまった。

最後の挨拶、
五関くんの話が、ステージに上がる前の鏡前での河合くんのエピソードでちょっと笑わせた上での「河合は卒業したら歌ったり踊ったりしないって体で進んでるじゃないですか? でもわからないですよね」って流れで、まっすぐ無骨にファン思いな人なんだなぁ…と思った。「安心してください、河合郁人は根っからのアイドルでした」って言葉の選び方、みんなが何を不安がってるのかわかってるんだ、というのが伝わってくる。
この五関くんという人、ストイックにスキル追求するタイプの人なイメージだったんだけど、私の誤解だったかもしれない。ソロ曲もオタクに刺さるモノ全開!な演出で、こういう路線いける人、というか、こういう路線を選べる人なんですね。好きでした、とても。

私が見に行ったのが公演期間のうち比較的後半の日程だったのもあるかもしれないけど、しっかりちゃんとアイドルの「卒業公演」だった。
あの期間、ほぼずっとそれも昼夜2公演、こんなにがっつり「卒業公演」をやり続けるの、メンバー5人も他のキャストとかスタッフの方々も物凄いエネルギーなんじゃないかと思う。地力、って呼ぶんだろうか、そういうの。観られて良かったです。

翌週、パンダドラゴンのツアー「おもちゃばこ」は後半戦にさしかかっていて、
12月23日・24日は福島公演2days、28日はセミファイナルの静岡公演がありました。

このツアーはセットリストだけでなく、衣装も過去の衣装の中からバラバラに抽選で決めるというコンセプトになっていて、
どちらかというと本人覚えてないといいなと思ってるんだけど、その前の青森のライブ後の特典会で、ホールツアーの(私がバーテンダーと言い張ってる)ウェイター衣装を着たあづくんの隣に座ったときに、あ、大人の男の人の身体の厚みになったなぁ、あんなガリガリで肩なんてぺらっぺらに薄い少年体型だったのに、って、ときめきと感慨がいっぺんに来て、「いいねぇ、こういう衣装は大人の体格になってからの方が似合うよね~!」的な褒め方をした記憶があって、
そしたら、福島と静岡の日替わり2L写真で、ガリガリ少年体型だった頃の授業参観ツアーの学ラン衣装が来て笑いました。なんだその特殊すぎるフラグ回収。

福島公演のあづくん、ライブパフォーマンスがとにかくめちゃめちゃ良かったです。
この人のどこをそんなに推してるんですか?と聞かれたら、色々あって答えに困るんだけど、そのひとつは間違いなく、彼の独創的な楽曲解釈とそれを表現するライブでのパフォーマンスだと思う。
Sweet Strange Paradeという曲があって、この曲で自分がメインじゃないポジションでどうするか、すごく面白いなと思って見てるんですけど、私の見た中では青森以降、あづくんが完全に覚醒していて、特に福島は震えるほど素晴らしかった。心に何が棲んでいたらあんな化け物みたいな狂気の表現ができるのか、これだから目が離せない。
輪舞曲~Black out~とかREAL≠NONFICTIONとか、単純にあの声ギフトだよな~とつくづく思う歌割で世界に大感謝がまず前提なんだけど、こういう恋する歌の苦しそうな彼の表情とても好きですね。輪舞曲はそもそも禁断の愛の歌だけど、REAL≠NONFICTIONって普通にさらっと読んだら別に悲恋とかじゃない、甘い恋の歌なはずで、それをね、なんて苦しそうに人を好きになるんだろうこの人は、って顔で歌うんですよね。
何年か推してるけど、「こんなこの曲見たことない」っていう興奮とか感動を何度もさせてくれる人で、ああ私この才能を真面目に推そう!って福島見てちゃんと思いました。

静岡公演は、
そうまず前日にFC限定で上がった「駅から会場までの行き方動画」が名作だった。「あづくん好きな人は全員好きやろこんなの」が詰め込まれていながら、一切行き方案内の用をなしてない(というか実際には会場まで駅から線路沿いに一本道なので案内の必要はそもそもあまりない)この動画が撮られているところ、それが公式にFCで上がるところ、がとても好きです。

ライブは、要するに、当日朝抽選の2部のセットリストに入らなかったメイン曲を3曲全部1部で引くという神展開が全てといえば全て、で、
ああこの人はアイドルをやる運命の人なんだな、しょうがない、って思った。
楽じゃなくても幸せかわからなくても、これはもう、しょうがないんだな、って。

あづくんというアイドルは、正直言って、まあまあ「安心して推せる」推しではない。

単純に体力的な面も、以前に痛めた腰に限らずフィジカルは喉以外ぶっちゃけ全部不安だし、メンタルだって今も本人が「不安定なときがないと言ったら嘘になる」って言うような状態で、見てて完全復活だと思ったことなんてない。そもそもエネルギーの出力が安定してなくて、一日のライブの中で、どこかの曲で魂を全部ぶち込んだみたいな途方もなく最高のパフォーマンスをしたと思ったら、そこでパワー使い果たしてあとの曲は気力と喉だけで歌ってんな、みたいな日もある。

何より、
この人にとって、この人の表現の才能にとって、「アイドル」という人生が幸せなのか、正解なのか、
いまだに私はわからないでいる。

たぶん私は、少なくともある時期までは、いつかどこかでそれらの不安が解消することが、何かの「ゴール」だと思っていた。と思う。

彼をアイドルにすることに、あのオーディションの何千か何百か分の1の票だったのかわからないけど、それに投票したこと、その後のアイドルとしての彼を推し続けていること、自分がライブで緑のペンライトを振っていることが、この人の幸せにとっての正解なのか根本的にずっと不安で、
だから、それが解消されて安心できる日が来て欲しい、それが自分のゴールだ、って思ってるところがあったと思う。

でも、

静岡1部で、あづくんが自分の手で引いてしまったSPEECHの立ち位置について、「君が僕にくれた今日にいつも生きて」って歌うのを見てて、
そんな日は別に来ないのかもしれない。それで大丈夫だ。ってなりました。

きっと、何ひとつ解消しなくても、この人は、そういう弱さも強さも全部まるごと抱えて物語にして、その物語を武器にして、そのままアイドルとして前に進んでいくしかないんだろうなって、
それで、この日のSPEECHを目撃させられてしまった自分は、それを推すしかないんだなって思った。

なので、強くならなきゃいけないのは、どちらかというと私の方です。
些細なことで狼狽えたりせずに、僕たちはそんなに脆いものではないはずって信じて、「明日とか未来とか愛で埋」めていく。
それが幸せでもそうじゃなくても、もうこれは死ぬまでつき合うしかないんだなぁと思った。

長生きします。大丈夫。
幸せじゃなくても正解じゃなくても、どんな結末になっても、それでも私は、あなたのSPEECHが聴きたい。



さて、そこそこ長くなってきていることは薄々わかりつつ、ここからMeseMoa.カウントダウンコンサート「辰のお年GO!!!!!」の話もしなきゃと思っているのですが、
これはここで上げる意味がまた別にあるかもしれない、と思うに至ったので、いったんこれで上げてしまいますね。

続きの日記は、また書きます。旅はまだ続く。