(仮)

好きなことを好きなだけ語るためのブログ

3月なんてぜんぶ夢

というタイトルのプレイリストを作って、3月の遠征は移動中こればかり聴いている。
岡山も、愛知も豊洲も、大阪も、きっと、これから行く福岡も。

だいたい3月というのは、

たぶん、「別れ」が多いせいなのだと思うけど、
基本的に、ずっと人と会っていて、だからずっと人のことを考えていて、そして、ずっと酒を飲んでいる。
いくつもの卒業とか、上京とか転勤とか、やたらと送別会が多い月で、酒ばかり飲んでるうちにふわふわと夢を見てるみたいな気分のまま1ヶ月過ぎるのがもう長いこと身体に染みついてる気がする。文字にするといかにもダメな大人にも程がありますが、残念ながら実感です。
さよならまたね、と言いながら、二度と会わないかもしれない人もたくさん、たくさんいる。もう会えないわけじゃないけどまた会える保証もないよ人生だもの。これは誰の短歌だっけ、(いま調べた、)佐藤真由美さんですね。

でも、ほんとは、3月じゃなくたってそのはずなんだ。いつも。


もう会えないわけじゃないけどまた会える保証もないよ

ほんとはいつもそうなんだ、と思う。
毎日あたりまえに会えると思ってる人、例えば同じ家に住んでる人とだって、四六時中一緒にいるわけではなくて、それぞれ学校に行くし仕事に行くしライブに行くし買物に行くし遊びに行くし他の人に会いに行ったりするわけで、その間にどちらか或いは両方に何かが起きて二度と会えなくなるという確率は、ゼロになることはない。だから、また会える保証なんて、ほんとは常に、誰との間でも、無い、んだと思う。



「好きな人に『好き』以外の言葉で気持ちを伝えてください」
というお題で、

「また会おうね」

と答えた人*1を、だから私は、天才だと思うよ。



それは、ときどき、小さな奇跡を起こす意志になる。




今日で世界は終わるんだと思いながら東京に戻ってきた日から、1年、
なんとまだ生きてるし、生きてればまた会える、と、たまに夢を見たくなる。



人生だもの。そうだね。また会いましょうね。





【追記】

佐藤真由美さんの短歌には、

「わからないけれどあなたに会えるならこの世はいいところだと思う」

というのもあって、
うん、だからやっぱり、また会おう。日本中で。