(仮)

好きなことを好きなだけ語るためのブログ

ヴィンテージ

というタイトルの、ポルノグラフィティの曲がある。
初めて聴いたのはいつだったかな、学生時代だったと思うけど、当時から好きな曲だった。
「あの赤いワインのような濃密な時間を 重ねて」「僕らの愛よ ヴィンテージになれ」、
と歌うその歌は、
最近の私の、推しを推す上での、テーマ曲である。

 

 

40歳になりました。
(出オチで言っていくスタイル。)

 

 

なので、そのついでに、
年月、とか、時間、とか、
そういったものは、大切なのか、どうだろうか、みたいなことについて考えようと思います。

 

例えば、アイドルのオタクの世界で、
「古参」というのは、別に、「新規」よりも偉いということは意味しない。と思ってる。

そもそも、誰だって最初は新規なのだ。
自分に関して言うと、
私の人生で初めての「推し」である気まぐれプリンスを、私が初めて見て、好きになって、「推し」であると自覚したのは、
それまでもずっと踊り手として、また振付師として名を馳せていた(らしい)彼が、既に当時の「むすめん。」のメンバーとして、アイドルを職業にすると宣言したよりもあとだった。
当たり前のことだけど、王国民には、自分より昔から、踊り手時代から熱心に彼を推していた人はたくさんいるし、
上京前後の時期に水色が減った時期があった(らしい)ことも、私がファンになるずっとずっと前のことで、もっと早く好きになっていれば少しでもその頃の客席に水色を増やしに行ったのに、と、どう考えてもどうしようもないことを何度どれだけ悔しく思ったかわからない。

あづくんに関しては、めせもあ。ベイビーズオーディションを見ていたのが最初の出会いではある。
けど、彼だって、その前から踊り手として活動していた人だし、私はそこからパンダドラゴンの現場に通うようになるまでにはかなりタイムラグがあるので、私が本格的に「パラゴンのオタク」になる前から、彼(ら)を熱心に推していた人はたくさんいた。

 

推しに惚れて、好きになると決め、推すと決め、それを行動に移して推し始めた瞬間って、
誰もが新規なはずなんですよね。すごい当たり前のこと言ってるか。大丈夫か。
それで、その時点での周りの同担って、自分と比べたら相対的に昔から推してる人しかいないわけじゃないですか。自分はたった今が好きになった瞬間なわけだからさ。えっすごい本当に当たり前のことしか言ってないな。

 

でも、

 

そうだな、
長く推していること、ずっと好きでいること、それ自体というよりは、
推してきた、好きでいたその期間には、それぞれの時期に推しと一緒に見ることができた景色があって、
そのひとつひとつは、他に代え難い大切なものだなぁと思う。最近。

推しを推している時間というのは、
勝ち逃げできるゲームじゃないし、
背中に羽が生えたように楽しいこともあれば、臓腑が捻じ切れるほど悔しいこともあるし、
嬉しいイベントしか発生しないわけなんてないし、綺麗な景色ばかりじゃない。
なぜなら、それは、「愛」なので。
そういう、醜い自分の心も思いどおりにいかない現実も、全部ひっくるめて遊んでしまうのが、「愛」という、このエンタテイメントなので。
今更だけど、推しを推すことって、趣味とか娯楽として怖いくらい正直に巧みに人の欲望に忠実なシステムだと思う。推すことに費やした時間、その間に見てきた景色、体験した出来事、浴びてきた現場、そこで注いできた愛、その全部を、娯楽として提供する仕組み。
人間ってすごい生き物だな。

 

好きなものを好きなだけ好きでいる、
それだけで繋がっている私の人生が、私は好きだ。
大好きな人との時間を積み重ねて、これからも、自分の人生を作りたい。

長生きしますね。また会おうね。

 


2023.4.8