(仮)

好きなことを好きなだけ語るためのブログ

1月23日(日)朝、機内。走り書きメモ

推していて楽しくなくなったら、幸せじゃなくなったら、好きだと思えなくなったら、ファンなんていつでも止めよう、と思っている。
好きなものを好きなだけ好きでいる、というのはつまり、そういうこと。


2022年の気まぐれプリンス聖誕祭は、2時間弱×2部制のソロライブだった。1公演のセットリストは17曲、1部と2部で共通している演目は7曲のみ。
ソロ曲『Mercury eyes』に始まり、パシフィコ横浜でのソロ以来最早持ち曲になりつつある『エニグマ』、1部で『てんてん天使』を歌ったかと思うと2部は『ココロの悪魔』という神構成を当然のようにさらっと組み込み、LOVE BLOODツアーで椅子を使ったダンスパフォーマンスでメインを張った『Turas』をソロにアレンジし、『フー・ダニット』『握った手はまるで、繋ぎ目のよう』といった一昨年のソロライブ演目を進化させて生披露し、
「気まぐれプリンスを構成するもの、歴史を振り返る」踊ってみたとハロ曲を含むカバー曲の5曲連続は、実質「どの曲も端折らないメドレー(※ワンハーフ?というかショートver.の曲はありました。)」だったにも関わらず、『泣いちゃうかも』以外の曲目を1部と2部で全て入れ替えるという鬼構成で、
大人になった歌と表現で魅せた『虎視眈々』ソロver.、トラライ。幻の名曲『Silent fire』ソロver.、加えて、ゲストを招いて2曲(※1部と2部でゲストが違うので当然全く別演目)、さらにBachさんのキーボード(≠エレクトーン)生演奏で2曲、
ラストをセンター曲『新鮮!竜宮城RENBO』で締め括る、
しかもその全曲のパフォーマンスが「今」の気まぐれプリンスの最高のクオリティという、

できるだけ淡々と書いてみたけど、恐ろしいライブだった。
簡単に言ってしまうと、この人はこれに賭けてきたんだな、と思った。
これだけの演目を「やる」と決めて、ゲストや協力してくれる人に話して準備して、オリジナル曲もカバー曲も踊ってみたもソロ用にアレンジして、練習して積み上げて、
どれくらいの時間と、途轍もないエネルギーと情熱がそこに注ぎ込まれてきたんだろう。何のために。

私は、気まぐれプリンスのことを、「天才」と言ってしまうことがよくある。というか、代名詞のように「気まぐれプリンス」と言えば「天才」だと繰り返し叫んでいる。それはそれは本気で。「美しい」「かわいい」「かっこいい」「セクシー」「面白い」がどれもバロメーターを振り切った王子を戴く気まぐれ王国は、多民族・多宗教国家だけど、「気まぐれプリンスは天才」は、そんな王国民の共通の憲法みたいなものだと思ってるのだ。少なくとも、彼が天才であることは、誰も異論を挟まない。
だけど、才能だけでここまで来た人じゃないことは、わかってる。
毎年聖誕祭の度に「世界で1番歌の上手いアイドル」って言ってるけど、推し始めた最初からそう思ってた訳じゃない。「音を消して振り入れ直しをしたくらい当時の自分の歌を聴きたくない」と笑っていた『虎視眈々』、雄のセクシーの歌い方の幅が拡がっていてこの人の進化の天井の無さを感じた。「歌うのが苦手なタイプの曲」と話す『Silent fire』を敢えてセトリに入れてめちゃくちゃ練習してあのクオリティに仕上げてきたのも凄まじくて意味が分からないし、『涙の星』は、ああ感情を声に呼吸に滲ませて歌うことは、こんなに、こんなにこんなに技術的に可能になるんだ、と思って、その歌唱力の向上に泣いてしまった。2部めちゃくちゃに凄い歌でしたね。
椅子を使った『Turas』だって『フー・ダニット』だって、その他の曲だって、当たり前のようにソロで歌って踊ってるけど、ソロ用にこれだけの曲数アレンジをして、しかも、1人で全部歌うのにダンスも見せ場を端折らないというか寧ろ作ってくる妥協のなさ。『握った手はまるで、繋ぎ目のよう』のダンスパート最高に好きです。
歌っているとき、踊っている時の切ない表情、ただ美しかった頃も好きだったけど、苦しいこと重ねて葛藤して大人になった今の色気が1番好き。「そこ!?」って言われそうだけど、あの顔を見る時すごく、推してきて良かった、幸せだ、と思う。


この人がやりたかったライブ、そのために積み上げてきたもの、

MeseMoa.メンバーの聖誕祭は、基本的に「FCイベント」で、配信チケットさえ、FCからしか購入できない。ゲスト出演するメンバーは限られている上に、お見送りにも登場しない(特典会はそもそもない)。
自分の周りはFCに入っているイルミィさんが多いから、普段あまり気にしたことがなかったけど、つまり、MeseMoa.にとっては聖誕祭は、布教のためのコンテンツではなくて、いつも応援してくれるファンへの感謝祭みたいな位置付けなんだと思う。例えばパンダドラゴンのメンバーの聖誕祭みたいに、「少しでも気になる人は配信チケット買って!めちゃ面白いから!」みたいな形のイベントとはされていないのだ。
だから、気まぐれプリンスの聖誕祭は、気まぐれプリンスを推している人、好きな人しか見ていないわけで、それなら、こんなに詰め込んだライブにしなくても、こんなにストイックにクオリティを上げなくても、こんなに限界に挑戦しなくても、これを見ている「ぷんちゃんのことが好きな人」が喜ぶイベントにすることは、可能だったと思う。

それでも、このソロライブを見せたい、と思って考えて、これに賭けて積み上げてくるのがこの人で、私の宇宙一の推しで、気まぐれプリンスという人で、

「好き」「大好き」の言葉でまとめることがもどかしいくらいに、


推していて楽しくなくなったら、幸せじゃなくなったら、好きだと思えなくなったら、ファンなんていつでも止めよう、と思っている。ずっと。
好きなものを好きなだけ好きでいる、と決めてここまで来たし、これからもきっと、



私は貴方が、大好きです。



2022.1.23
ロビ