(仮)

好きなことを好きなだけ語るためのブログ

禁断の果実に関するいくつかの考察(或いは、リスとハリネヅミの観察記録)

・ りんごちゃんズ
あづ×ぱっちの組み合わせを呼ぶときの名称。二人のメンバーカラーが赤りんご・青りんごを連想させる為。
          (『パンダドラゴン布教パンフレット』「パラゴン辞典」より)

 

「一見全然相性が良さそうに見えないのに、双方有能である結果、組むと最強チームになる」。
この組み合わせについて、そんな評が私の中で固まったのは、3rd.シングル『あゝ雪月花』の特典映像「パンダドラゴン クッキングバトル!!」を見たときでした(余談ですが、あれめちゃくちゃ面白いので未見の方は是非見てください。たいがちゃんのやばさとあづぱちの有能さとたみさんのネタにならない残念感が面白い。)。

 

双方有能、といっても、この二人の「有能」の在り方は、かなり異なっている、あるいは、かなり異なる「現れ方をする」ように見える。
チームで動くとき、先頭に立って引っ張ろうとするのか、後方から周囲を見渡して危険がないか観察しているのか。何も言われなくても前に出てMCを回してしまえるタイプなのか、まず役割を見極めるタイプなのか。舞台で役を貰うとして、多くのパートを任されて出ずっぱりで動き回っている役なのか、要所で存在感を残して人気キャラクターになる役なのか。ステージでパフォーマンスをするとき、、、
野外イベントのライブ後のチケット手売りで、ぱっちくんのところに行ったら、「『嘘つかないで』のあづのパートのとこでめっちゃ沸いてたの見えてたでw」と笑われ、それをあづくんに話したら「俺、そういう曲の時って客席見ないでパフォーマンスしてること多いからさ、でも、『沸いてろ?』って思ってやってる」と言われたことがあります。一粒で二度美味しい接触だった。

そう、ステージパフォーマンスの在り方は対照的だな、と思う。
ぱっちくんのパフォーマンスのテーマは、基本的に常に「ぱっち」なんだと思う。どんな「ぱっち」であればお客さんが喜んでくれるか、楽しんでくれるか。この曲、この振りを使って、どんな「ぱっち」を見せようか、という発想。それは、アイドルとしての自分自身を「商品」とするアイドルとして、すごく真っ当で正しいスタンスだと思う。
対して、あづくんは基本的に、楽曲のパフォーマンスにおいて「あづ」を見せるという発想がない(というか、本来なかった)、ように見える。彼が見せたいのはその「曲」であり「物語」であって、それを表現するための道具として「あづ」を使ってる、みたいなイメージ。最近変わってきたかもしれない、と思ったのは、ホールワンマンで、「デート」というテーマの下での「あづ」を表現する部分があったことが契機になったのかも、とちょっと思っていて、そこは今後注目したいところではあるんだけど、少なくとも、それは多分、彼にとってはもともと表現の本題ではなかった。

 

ドルオタ時代の蓄積を活かした膨大なアイデアの引き出しと、ステージの上かそうではないか、カメラが回っているいないを問わず発揮される抜群のコミュニケーション能力、

アイドルとしては特異ともいえる表現力と、それをあくまでアイドルの楽曲の中で武器として位置付けるための抜群のバランス感覚、

 

彼らはどちらも、とても賢く、頭が良い(学力テスト1位2位である―2ndシングル『VIVA! チャイナ』の特典映像「パンダドラゴン 学力テスト」参照。余談ですがこれもめちゃくちゃめちゃくちゃ面白いので未見の方は是非見てください。「埴輪」のくだり大好きで5億回見ましたが5億回見ても笑えます。)。
だけど、お互いに持っていないものばかり持っていて、二人とも賢いが故に、自分たちでそのことを痛い程よくわかっているし、だからこそ組むメリットがあることもお互いにわかりすぎるほどよくわかっている、
それが、5thシングル『サファリズム DE ね~しょん!!』が出る頃までの、私の中でのりんごちゃんズ評でした。


『サファリズム DE ね~しょん!!』は、
ぱっちくんの初センター曲、ということになっています。
なっていますが、重要な歌割を彼ひとりが全部歌っているのかというと決してそんなことはなくて、例えば、1サビのユニゾン「誰もがオリジナルを生きて」の後の印象的なフレーズ、「自分らしさを卑下しないで」はあづくんのソロ歌割です。これは、阿久津さんとパラゴンの対談記事なんかを読むと、あづくんは声が太くて説得力があるので、メッセージ性のあるワードは彼に歌ってもらおうという考慮によるもの、のように読めます。が、振り付けや前後の歌詞も踏まえて見ると、ここはもっと象徴的な場面に思えたりして、オタク業の深い生き物だなぁと。
つまり、リス(ぱっちくん)とハリネヅミ(あづくん)の関係性を、(見ようによっては極めて残酷に)現したパートのように見えてしまう。楽曲を作った阿久津さんや振り付けを作っためろちんさんが実際そんなことを念頭に置いて作られたのかどうかはわからないので、これは完全にいちオタクの深読み妄想なのですが。

まず、その前のBメロ終わりのぱっちくんの歌割「あの子のたてがみ 嫉妬しちゃうけど」、
これすごくないですか。メンカラ赤のメンバーが満を持しての初センター曲で、「嫉妬しちゃう」というワードを歌う。それも、恋愛の場面じゃなくて、「キリンの首」や「ゼブラの柄」の続きで出てくる「あの子のたてがみ」、つまり、「生き抜くためみんなそれぞれ進化してる」ような能力とかスペックとかについての「嫉妬」。
最初、MVを見て曲を聴いた段階では、私はこの「あの子のたてがみ」の「あの子」は、ホワイトタイガー(たいがちゃん)だと思っていました。「たてがみ」といえばメジャーなのはライオンなのでようたくんが妥当な気もしたのですが、なんとなくそれがいまいちしっくり来なくて、調べたらホワイトタイガーにもたてがみがあるようなので。3rdツアー『ぱらごんといっしょ』でぱっちくんが演じたリスが憧れているヒーローは「虎タイガー」だったし、オーディション時代、ぱっちくんとたいがちゃんがダンスレッスンでバチバチにライバルだった話が私はとても好きで、そのエピソードも背景にあるのかなぁと思ったりもしました。ところが、振り付けを見ると、この、たてがみをなびかせて遠吠えをしている「あの子」はあづくんなんですね。ハリネズミには、トゲはあってもたてがみはないはずです。どういうことだ。

youtu.be

 

今年のぱっちくんの聖誕祭のMCで、「グループの中で外部の仕事をする機会が自分だけなくて、すごくすごく悔しかった。自分はずっと、グループの入口になれるメンバーになりたい、自分が一番になって引っ張って行くぞという意識が強かったけど、それをボキンって折られたような気持ちだった。」「自分の存在価値がわからなくなって、パンダドラゴンに貢献できていないんじゃないかとか、一時は、いったんグループを離れようと思うくらいまで悩んだ」というような話をしているくだりがあります。
一方、あづくんは、2021年、今ぱっと思い出せるだけで、個人での『踊ってみたNEXT』出演(腰を痛めてて参加する演目は限られてたけど、トークはキレッキレでしたね)、舞台『赤毛のアン』のギルバート役、JUNONにもノックソ先輩と一緒に出たし、『コントステージ ミットナイト』にも出演、あと、お仕事というのとは違うかもだけど、TikTokの投稿動画がTV番組で使われて一瞬だけど映ったりしたこともあった。
あづくんの外部のお仕事が、「多かった」と言えるのかどうかは、比較対象によるので、一般論としては何ともいえないかもしれない。でも、(株)DDのアイドルの中で見ると、かなり多い1年だったと言っていいような気がしますね。ぱっちくんの目からは、どう見えていたのか。舞台の稽古であづくんが忙しくグループの活動から離れていた時間が多かったと思われる8月、「#はち月ぱっち」のタグで毎日自撮りをTwitterに投稿し、毎日時間を予告してツイキャス配信を続けていたぱっちくんは、「ボキンって折られた」前だったのか、それともその後、「考え方が変わった」後だったのか。

 

いずれにせよ、リスにはきっと、ハリネヅミに「たてがみ」が見えていたんだろうな、と。
ハリネヅミの方は、自分にたてがみがあるように見えるなんて夢にも思っていないかもしれないし、「自分らしさを卑下しないで」だって、リスに向かって歌ったつもりではなかったでしょう。あんなに愛らしくてみんなに可愛がられてるリスが、「自分らしさを卑下」しなきゃいけない理由なんてないし、自分を羨ましがってるなんて思いもよらないんじゃないか。

あづくんは、かつて、メンバーカラーについて、「俺らは希望制じゃなくて与えられたメンカラだったから、緑は好きな色で嬉しかったけど、あ、そういうポジションなんだ俺、って思ったよね。(株)DD的にイメージあるじゃん、赤は絶対的エースで、青系がスキルメン、黄色がリーダー、みたいな。メンカラ緑、まあ、いきなり真ん中とかは多分ない。だから、シングル3枚目でセンター曲が来て、吃驚した。」と語っていたことがあります。そして、先日のぱっちくん聖誕祭では、「メンカラ赤は渡さへん」というぱっちくんに対して、「僕ら別に、ふんだくろうなんて思ってませんから」と笑う。
多分、ぱっちくんにとってあづくんがそうであるように、あづくんにとってもぱっちくんは「自分の持っていないものを持っている人」でしょう。ただ、あづくんは、ぱっちくんが持っているものを自分も手に入れようとは思っていない。というか、それを持っていない自分がどうやって「アイドル」として生きていくか、というところから彼のアイドル人生は立ち上がっている。だから、例えばパフォーマンスやMC、SNSや聖誕祭などの個人企画で、ぱっちくんがしていることを見ても「自分もやってみよう」とはあまりならないんじゃないか、と思いますね。ぱっちさんのやってくれていることは自分の役割・領分じゃない、という意識なんじゃないか。

 

『サファリズム DE ね~しょん!!』に話を戻します。
先日、友人に言われて、この曲恐ろしいなってなったポイントなのですが、サビの歌詞、
「誰もがオリジナルを生きて 自分らしさを卑下しないで」に続けて、「さぁ一緒にほら 尻尾を振りましょう」が来るんですよね。慣用句としての「尻尾を振る」は、上の人や力のある人に媚びへつらう、機嫌を取る、みたいな意味です。文脈的には決してそういう意味で使われている訳じゃないだろう、とは思っても、事務所で後輩グループとして扱われがちな彼等が、しかも如才なくコミュニケーション能力の高いぱっちくんメインの曲でこれを歌うの、ちょっとドキッとする。あの、成人男性でこんなに似合うのは自分しかいないと自負していた爆デカりすしっぽ!
ところが。あづくんのアニマル衣装には、尻尾がついていません。つまり、ハリネヅミは、尻尾を振らない。一緒に振っている振りをしているだけです。

 

そう、りんごちゃんズは、目線がどこまでも一方通行。切ない。そしてそこが美味しい。
大阪公演のユニット演目『Shadow Kiss』、良かったです。もう一回ちゃんと見たいね……。