水色の日(続・私のポラリス)
いま住んでいる東京の家は、ビルの谷間に埋もれるような場所にある。
隙間から見上げる夜空に、星はほとんど見えない。
日本の北の果て、と呼んでも過言ではないようなところに住んでいた頃は、
東京に戻れればもっと、と思っていた。
東京に戻れればもっと、
時間休を取って平日もイベントに行ける。月曜朝の飛行機が飛ぶかを心配せずにライブの余韻に浸れる。空港での乗り継ぎを気にせずに西にも遠征できる。もし行動制限が厳しくなっても、都道府県を跨がずに行けるイベントが増える。
そうすればもっと会える、東京に戻れればこっちのもんだ、と。
けれど現実は、全然そんなことなかった。
去年の誕生日カウントダウン配信は、職場から終電に駆け込むまでの地下鉄のエスカレーターで、一瞬だけリアタイした。
あ、動画が上がった、ソロショットだ、と思って、
なんで自分はいまホームにいるんだろうと思って、泣きそうになった記憶がある。
その直後、感染をした。
体調が悪いなと思ってすぐ、その週末にもチケットを持っているイベントが控えていたのに、何の躊躇もなく検査を受けられる病院を探したとき、
「陽性なら当分休める」ということが頭を過ぎらなかったと言えば嘘になる。
戻ったら応援が増員されていた。コロナだったので過労じゃないです、と一応言いはしたのだが、上司は、過労で抵抗力が落ちてたんだろう、と言っていて、要するに、私が倒れたことは人手を貰うための理由にされたらしかった。それでも全然足りなかったけど。
聖誕祭の1日前に療養期間が終わって、我ながら、なんて奇跡的に都合の良い身体なんだと思った。
それが去年の話。
東京に戻ってきてもうすぐ2年になる。
依然として、時間と人手は現在進行形で圧倒的に足りていない。
平日のイベントがほぼ全滅な状況も、見られないライブがたくさんあることも、もう慣れてしまったし、
昔の自分なら、推しのその演目を見逃したことは胃が捻り切れるほど悔しかっただろうな、と思われるレポが流れてきても、心は乱れなくなった。
夜空は遠くなって、
それでも、
水色を着ると心が強くなれる。
たぶん、それは私にとっての一種の「武装」
なのだ。好きなもので身を固めて、愛で武装する。好きなものを好きなだけ好きでいることを、誰にも奪われないための、武装。
きっと彼に出会わなければ、特別な色だと思っていなかったし、頻繁に身につけることもなかったであろう色が、服にも、爪にも、小物や持ち物にも入り込んでいる現象が好きだ。私の水色は、全部この人のもの。
そういえば、特典会で、水色の服に言及される割合もすごく、増えた気がする。
どんなに愛や賞賛をぶつけても揺るがず笑顔でありがとうと言ってくれていた人が、
最近、少し変わってきたの、確かにそう思います。
昨年最後のおやすみラジオで、愛や感謝を具体的に言葉や行動で伝えるようにしようと思うようになった、って言っていたの、思い当たる節がたくさんあって、
遠くなっても、繋がってるって、思わせてくれてありがとう、って思っています。
その間ずっと、あなたは私のポラリスだった。
なので、
色んなことがあって、行ける現場は減って、でも、もう腹は据わったので。それでも好きでいる、と。
ビルの隙間でも、PC画面の前でも、水色にした爪を眺めながら、私は、好きなものを愛して生きていく。
拝啓、気まぐれプリンス様
お誕生日おめでとうございます。
出逢ってくれてありがとう。今年もおめでとうと言わせてくれてありがとう。宇宙一の推しでいてくれて、ほんとにありがとう。人生賭けて推すって決めたので、覚悟してくださいね。大好きです。
それではまた、ステージで!
2023.1.7 ロビ